※これは文学サークル「お茶代」の11月度課題として書いた小説のようなものです。

わが国でも“おやすみボックス”がついに解禁された!が、それがなんなのかわたしにはよくわかっていない。さっそく届いた小包みを開けてみると·····?

そこには、6本の赤い液体と一枚の紙が入っていた。

その紙によるとこうだ。 一、液体1本を飲むと、瞬く間に眠りに落ちる(8時間ほどで目覚める) 二、寝ている間は、すばらしい夢を見ることができる 三、一度に1本しか飲んではならない

早速1本飲んでみたところ、30秒もしないうちに強烈な眠気に襲われ、わたしは意識を手放した――

目を覚ますと、9時だった。昨日「おやすみボックス」を飲んだのが1時頃だったので、本当に8時間で目覚めたようだ。夢の中で、わたしは大好きな演劇を見ていた。マクベス、ロミオとジュリエット、ハムレット。美しい夢の世界の記憶が、夢とは思えないほどくっきりと残っていた。

いまさらながらに調べてみると、「おやすみボックス」は、不眠症などを解消するとともに日々のストレスを夢により軽減し、精神を健康に保つことを目的として、アメリカで開発されたものだった。この液体を飲むことで、実際にみるみるうちに患者たちは元気を取り戻していったのだという。

その効果から、イギリス、ドイツ、フランスなどの欧州でも広まっていき、満を持して日本でも使用ができるようになったというわけだ。

なるほど、たしかに精神の救いにはなるのかもしれない。実際にわたしは今、これまでになく心が満たされている。昨夜見た演劇は、夢のように―実際に夢なのだが―美しかった。どこが違うかと言われると言えないのだが、現実で見るものと何かが違ったのだ。寸分の狂いもない完璧な美しい世界がそこにはあった。そう、まるで神が作ったみたいに。

その日を機に、わたしは頻繁に「おやすみボックス」を使うようになった。疲れの溜まった週末や嫌なことがあった日に、「おやすみボックス」を使うと、翌朝にはそんなことはどうでもよくなっていた。

夢の世界は「おやすみボックス」を使えば使うほど、記憶がはっきり残るようになっていったし、夢の中の行動も制御できるようになっていった。価値観の合わない同級生や気持ち悪い男たち、そのほかの積極的に関わりたくない人間と夢で会うことは一切なかったし、自分がほしいものはなんでも手に入るしどこへでも行ける。もちろん戦争も起きないし、生活のために働く必要もない。

夢の中のわたしは、大好きな友人や家族―今はもう現実では会うことのできない人も含めて―に囲まれ、楽しく笑っていた。演劇を見て、読書をして、たまにはリゾートで泳いだりもした。なんてすばらしいんだろう。この美しく完璧な世界があれば、現実世界で何があろうと頑張れる気がした。

あるとき、一度だけ、魔が差して2本同時に飲んでしまったことがあった。その日は連日の残業で疲れがたまっていて、もっと長く、もっと幸せな夢が、どうしてもどうしても見たかった。

ところがその日見た夢は、いつもの美しい世界ではなかった。 わたしの立っている場所、あたり一面に蛇がいた。気持ち悪くて、そこから逃げても、また蛇。あそこなら蛇がいない!と思って走っても、足をついたそばから蛇が出てくる。そうして走り続けて、朝を迎えた。

起きた途端に、激しい恐怖に襲われた。もしかすると、もう「おやすみボックス」で美しい夢を見ることはできないのかもしれない。そうなってしまったら、この先わたしはどうやって生きていけばいいのか。あの美しい世界なしでは、この汚い世界を生き抜くことなど、もうできないというのに。

その日は仕事があったので出勤はしたが、わたしは一刻も早く「おやすみボックス」を飲みたくて、あの世界がまだわたしには残されていることを確かめたくて、気が狂いそうだった。起きてから、帰宅して「おやすみボックス」を飲むまでの十数時間は、わたしの人生でもっとも絶望に近い時間だった。あの時点では。

結果をいうと、通常通り1本だけ飲めば、また美しい世界で暮らすことはできた。ただ、一度その世界がなくなるかもしれない絶望を味わった分、夢の世界への渇望は激しくなっていった。最初は、現実世界をうまく回すために飲んでいたはずなのに、いつしか「おやすみボックス」が、それが見せてくれる世界がすべてになった。

でも、仕方がないとは思わないだろうか。この世界は、あまりにも汚すぎる。人間は何度学んでも学ばずに戦争を繰り返すし、神に与えられた理性があるのにいまだに性欲と本能に振り回されているし、ほとんどの資本家はお金のことしか考えていないし、遺伝子と環境で人生の勝敗の大部分は決まっているし、美しさのかけらもないじゃないか。こんな世界で、夢に逃げずに生きろということのほうが、無茶な話だ。

わたしは今、美しい夢を見るためだけに、ゴミみたいな現実世界を生き抜いている。