
夏は、どの季節よりも死の匂いが色濃い。
「入道雲って見てるとなんだか死にたくなりませんか?」という台詞を先日あるドラマで聞いたが、夏が来ると毎日のように感じていることをはっきりと言葉にされて、仲間を見つけたような気持ちになった。 死にたくなる、というか「いつか死ぬんだよなあ」と死をぼんやりと想起させる何かが入道雲にはあるように思う。
そしてマシンガンを10000発くらい撃ち込んで少し弱らせたいくらい暴力的で、絶対に体に悪いとしか思えない太陽の光からは、浴びていたら命まで焼き尽くされそうな死の気配がするし、成虫になってから数週間で命を終える蝉の五月蠅いくらいの啼き声は、死を前にして生命の灯を一気に燃やし尽くしているようだ。
これは日本特有だろうが、終戦記念日やお盆があることもあり、多くの命を飲み込んだファシズムや軍国主義に想いを馳せたり、お線香の匂いを思い出したり、死というものを考えることが多い。
でも、それよりも夏と死を結び付けているのは、「生のエネルギー」と「腐敗の予感」ではないかと思う。
夏は、太陽はもうやめてくれというくらいに輝きエネルギーを発揮するし、向日葵は美しく咲き誇り、虫も活発に活動する。 そして人間も、海や川で遊んだり、フェスを楽しんだり、南国に旅行に行ったり、活動的に楽しむ人が他の季節に比べて多い印象のある季節だ。
そうした眩しいまでの生のエネルギーを感じることが、逆に死を想起させているのではないだろうか。生と死は遠く離れたもののように思われるが、死は生のすぐ隣にある。わたしも、これを読んでいるあなたも明日、それどころか1時間後に死んでいる可能性はゼロではない。死は生きている限り、影となって人に寄り添い自分の出番を窺っている。生命が光輝けば輝くほど、その隣にある影は濃くなり死を意識してしまうのかもしれない。
そして、腐敗の予感だ。 当たり前のことだけれど、人間は死ねば早晩腐っていく。精神は神のもとで最後の審判を受けて神の国へ行けるかもしれないが、身体において死の行きつく先は腐敗である。
夏は食べ物も腐りやすいし、動物からは独特の匂いがする。人間も汗をかき、匂いを発する。そうした腐敗の香りが一年で一番強い季節を、暑さのあまり汗を流しながら歩いていると、自分も他の動物とさほど変わらないただの生物で、いつか死んで腐っていくことを思い知らされる。夏からは概念的な死ではなく、生々しく、匂い立つような死を感じる。
わたしは何故か昔から死について考えていて、自分以外の何かになんでわたしの死期を決められないといけないんだ、絶対にそんなことになる前に死んでやりたいと今でも思っているし、そのくせいつ死ぬかわからないから今楽しいことをたくさんしようと、いつ死んでもできるだけ後悔しないように生きてきた。見たい作品を財力の許す限り見たいだけ見て、住みたい場所に住んで、ほしい生活を手に入れてきた。また、最悪死ねばいいからと死を常に隣に置き、ある種の逃げ場とすることで、色々なことに挑戦したり絶望しても這い上がったりすることができている気がする。
だからわたしにとって死は敵でも忌まわしいものでもなく、人生を楽しくしてくれるスパイスであり、時には支えとなるお友達のような存在だ。
そんなパートナーのような死が、大嫌いでわたしの住む地域からは消えてほしい夏と固く結びついていることは微妙だけれども少し面白いなと思ったりする。
これから何度忌まわしく消えてほしい、そして死の匂いを感じさせる夏を過ごすのかわからないが、できるだけ好きなことをして、満足して死ねる自分でいようと思う。
お茶代8月ジユー課題/テーマ:夏と〇〇
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